2006年12月17日
江戸のリサイクルから何を学ぶか?
江戸時代が循環型社会のモデルとして注目されれているのはご存知でしょうか?
自然の循環と社会の循環が,資源と廃物によってしっかりと循環し、
廃棄物問題はほとんどなかったようです。

【江戸時代以後の豊かな循環社会】 「地球環境問題を考える」より図引用してます)
しかし、それまでは、水田が到るところで開発され、周辺の山から草が肥料として使用され、
さらに戦国の戦乱によって、日本の山は深山を除き栄養を失い殆どがはげ山の状態だった。
なんと、世界最大都市となった江戸は、滅亡しようとしていた!
以下、るいネット「なぜ、江戸時代の日本は滅亡しなかったのか?」(阪本さん)より引用
>人工の急拡大によって木材が大量に消費され、
山から木が消えると、土壌流出が起こり、肥沃な土が流れてしまう。
>その結果、森林から有機物の供給を受けていた下流の田畑では土が貧しくなり、
収穫量の減少、飢饉が多発するようになった。
>かくして、日本の4分の1の森林は失われ、江戸時代の日本社会は、
他の滅亡した文明と同様に、近いうちに崩壊してもおかしくない状況にあったのである。
ところが、この荒れ果てたはげ山が森林に戻っていきます。
どんな大転換が行なわれていたのか?知りたいっと思った方は、ポチっとお願いします。
当時の為政者は、鎖国政策と相まって、日本の安定秩序を維持する為に、
森林を管理するなど長期的な視点で、森林などの管理体制を敷いた。
さらに、庶民の協力を仰ぐと共に、庶民の間でも、自分たちの生活の安定を保つ為に、
自発的に知恵を出し合った。
このようにして、循環型の社会が築かれていった、と思われます。
これら江戸時代の循環型社会については、石川英輔(武蔵野美術大学講師)リンク著の
「大江戸リサイクル事情」には、さまざまなリサイクルシステムが紹介されています。
石川氏は、江戸時代の社会を支えたのは太陽エネルギーであり、
太陽が育てる植物を徹底的に利用し、物を生産し、それを循環させるシステムを築いた。
江戸時代はその意味で「植物国家」であった。
と述べています。
その一つとして
■米のリサイクルシステム
【下肥を運ぶ農民】 【大根を持って、現物交換で下肥を集める農民】
米は、江戸時代に日本で取引されているすべての品物(総生産)の36~38%を占めていました。食糧として人間のお腹に入り、体内にエネルギーとして吸収された後は排泄され、この排泄物が江戸時代のもっとも重要な肥料でした。特別な設備もエネルギーも不要、ただ集めるだけでチッソやリンを豊富に含んだ有機肥料を入手できた。
江戸の町の住人は下肥の生産者であり、農家の人は下肥の消費者、そして農家の人は野菜など農作物の生産者となり、町の人はその消費者となる、このようなリサイクルシステムが、江戸では自然に成立していたのです。さらに、ワラも堆肥や日用品、燃料として徹底利用されていた。
■江戸の回収専門業者
灰買いをはじめ、さまざまなリサイクルを支える人たちがいた
【灰買い】 【古着の回収】 【傘の古骨買い】
これら江戸時代のリサイクルから学ぶことは、
現代の工業技術は
非常に合理性は高く、効率的で、短期的には効果がはっきりしているのに対し、
江戸時代に行なわれていた伝統的なリサイクル方法は、
自然条件などの影響を受け易く、個人の上手下手によって左右されやすく、
競合すれば簡単に工業技術に負けてしまう。
ところが、良く考えてみると、工業技術のうち大半は、せいぜい1960年以降に日本に持ち込まれたものであり、その技術を今後何十年間使い続けると、今の地球温暖化問題や、人工物質の問題などを見ても分かるように、何かこのままではヤバい、のではないかという不安ばかりが増大しています。
さらに、それらの問題が、どういうメカニズムで問題が現れるかはまったく解らないばかりか、
知る方法さえ見つけ難いという別の課題も登場してきています。
伝統的な技術は確かに効率は悪く、目先的には欠点は多いが、長い歴史と経験の中で培われてきた技術は、良い面も悪い面も問題点が分かっていて使用できる。
現代のように、合理的で効率的な面だけを追求するのではなく、伝統的な生活様式からも少しづつ学び、長い眼で見て何が良いのか考えていくことが必要ではないかと思う。
- by simasan
- at 13:06



comments
現代の工業技術は、廃棄物の処理やリサイクルの観点で言えば非常に効率悪く、リサイクルしない方がいい場合が多いので、そこまで考えれて、「合理性」を論じるべきですね。
確実に、利用可能な資源は減り、廃棄物が増えると言うことは明らかです。その中には核廃棄物のようにかなり有毒で処理をもてあましているものもあるので、どんな問題が現れるかは、ある程度予測可能でしょう。資源の枯渇の問題も明らかです。
simasanさんは、かなり慎重に発言なさっていますが、廃棄された物が(環境)コストが余りかからず簡単に循環系に戻せない工業製品は、「合理性がない」と、断言すべき時代になったと思います。
江戸時代のリサイクルシステムの見直しのようなプロパガンダはこれからもどんどんして下さいね。循環型社会へのアプローチになります。
江戸時代に自然と実施されていたリサイクル。上記の図には現在で言う「ごみ」というのが書かれていません。当時の人たちは、ごみという捉え方がなく、「役に立つ必要な肥料」と捉えていたと考えればなるほど~って感じです。
☆これこそ自然の摂理に則った生活ですね☆
江戸時代には廃棄物を生産物として利用し、循環の作用が自然と確立されていた。無駄が無かったのだ。
この記事を読んで現在の社会が便利さと引き換えに失ってきたものを改めて考えさせられる。
「環境のことを考えて昔のような生活に戻せばいい!」じゃあ解決できない!!
「循環型社会」とは良く聞くけど、少し前の江戸時代で実際に成功してたことに驚きました!
『効率』より『共認充足』という概念で分析してみては?
江戸時代の生産と消費の事例は、今後の社会のありかたを考えるための優れた題材だとは思います。しかし、『効率』や『合理性』や『リサイクル』という概念で捉えようとする限りは、ただの牧歌的な文化としてしか写らないでしょう。
それを超えて、現代にも通用する原理を抽出することではじめて、これからどうする?を考えることが可能になります。そうすれば、多くの人たちのとの共認形成が可能になり、この運動も広がって行きます。
まず『効率』とは、人がどうなろうと、市場の中で、支配者≒資本家だけがいい思いをすることを促す概念です。しかし、この効率一点張りという指標は、人類の歴史をふり返ると、ほんの数百年、日本では百年足らずの歴史しかありません。
それ以前は、人と人との期待応望の充足など人類本来の活力を得られるように、生産や消費の様式が作り出されてきました。江戸時代もその一例だと思います。単純に資源不足だから、それらを有効活用したという視点は、市場原理に犯された現代人のゆがんだ思考だと思います。
他方『合理性』はもっと意味が広く、経済の中での合理性なら効率と近い概念になります。しかし、人類に本源性まで考慮に入れると、多くの人の役割があり、それを果たすことでみんなの役に立てるという充足を得られることになります。その意味で、江戸時代の生産消費様式は合理的だといえます。
この次の段階は、このあたりの史実の比較と、構造化ではないかと思います。
確かに、現代人の感覚で合理的と言うのは、明らかに快美とか効率的・経済的と言った、偏った価値観から出てきていますよね。
雑草さんが言うように、自然界に戻す方法を考えないで、環境破壊がどんどんすすんでいく様な生産システムは合理的ではないことは、普通の人ならみんな感じていと思う。
これからは、だれが見ても分かるような評価軸をみんなでつくっていき、必要か否かを判断していくことが重要と思います。
はじめまして、
鎖国時の日本人が限られた空間の中で、「どう生きるか」を実践し結果を残してきたことは、地球という限られた空間で生活する現代の人類とって有効な知恵を与えてくれると思います。
わたしはその背景になる社会制度にも評価をしたいと思います。個人の自由の限度や範囲について再考し、五人組にみられる連帯責任を社会制度として復活すると、環境問題だけでなく社会問題においても、好転を期待できるような気がしました。
はじめまして
自然の循環と自然の力を考えさせられますね。
日本はもともとすばらしい循環型だったんだと聞いています。
応援ポチッ。
nakamura氏のおっしゃるように、江戸時代の日本の知恵はこれからの人類の進むべき方向であると感じます。日本も、また鎖国出来るくらいになるべきでしょう。
『効率』と言う言葉は、経済市場ではHonda氏のおっしゃるような俗な使われ方をするかも知れませんが、
物理的には『熱効率』,『エネルギー効率』と言うように、工業的にも大切な概念として違和感なく使われていると思います。だから、『環境効率』という概念の導入も抵抗がないと思います。
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